『グッバイ、サマー』は『シング・ストリート』以上に14歳を肯定する映画。とても好き。

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『グッバイ、サマー』を観た。

分かり易く「おおぉぉ〜〜大傑作だあぁぁぁ!!」と即叫び出すみたいになる作品ではないけれど、胸の中から身体中にかけて「この映画めっっっっちゃくちゃ好きだぁぁぁぁ大好きだぁぁぁ“最高”ではなくとも好きさではもうこれ最高レベルだぁぁぁぁぁ」みたいな気持ちがどんどんどんどんふつふつと滾っていく“私はこの映画大好きです映画”。

だってあまりにも、あまりにも親密さばかりじゃない?この映画。
予告編だと完璧なキラキラセンチ感、ときめき感で固められててこれは最終的に涙を禁じ得ないやつか⁈と相当構えて観ることになったんだけど、実際は想像以上にカラッとしてるしザラザラもしてるしデコボコな感じも受ける、とてもフランス映画らしい青春映画になっている。でも、それがこの映画にはものすごくプラスに動いてる。

物語としても、主人公の2人はそれぞれに、時に2人一緒になって、いろいろな目論みを抱いていつも自分なりに頑張るんだけど、まぁこれでもかときっちり上手くいくことなんて何一つない。途中までは上手くいったとしても、やっぱり綺麗なフィニッシュには程遠い終わり方になっちゃう、何をやっても。

でも。だからこそ。この映画の中で終始貫かれる“それでも前に進むんだ”という2人のめげない気持ち、生命力とも言えるような、転んでも湧き上がってくる次に向かう本当の強さは、私たちの心を捉えて止まない。ホントにこの2人は偉い。なぜか最後にはそう思えてくるほどだ。そしてつまりそれは、有名人や優等生のような立派な結果は何一つ出せなくても、ごくごくありふれていても、好きなことを大切にしながら毎日を奮闘してる14歳の少年少女は、誰もが偉いんだと、尊いんだと、そう思わせる破格の親密さとリアリティ、肯定感がこの映画には満ちていることを伝える。


同じく14歳の少年達の奮闘を鮮やかにも真摯に描いた『シング・ストリート』を観て心弾ませ感動しつつも、“やっぱり青春映画で絵になるのは楽器の出来るバンドキッズだよな〜”とちょっとしんみりした、かつての絵画好き少年、マシン好き少年、実は女の子大好きムッツリ恋愛系少年、安心してください。
『グッバイ、サマー』を観れば、楽器ができなくてもバンドをやってくても、14歳の情熱は何であれ思いっきり青春映画の絵として最高に素敵なことが分かって、めっちゃ清々しく、嬉しい気持ちになれます。


機械いじりが大得意で、女子にもどこか冷めてる自立した男子と、絵画が好きで片思いに悩んでる、背の小さな美形の男の子。

まるで住む世界観が掛け離れてるような2人だけど、学校やクラスメイト、家族に感じてる違和感や不満、理想の生き方に似たものを見出して、出会ってすぐに仲良くなっていく。趣味は違うけど、なんとなく自然と心を開けて、仲良くなっていくあの、言葉では表現できない、完全にフィーリングとしかいいようのない感じを、とてもリアルに自然に描いている。
2人の交わす会話の素晴らしさがこの映画の大きな魅力になっている。

こんな真理を貫いたような、大人っぽくてカッコいい言葉、果たして14歳が言えるのかよ⁈(そういう台詞はだいたい自立心の強い機械オタクが言う)と思ってしまうくらいなんだけど、むしろそれが、頭のキレる少年が無垢な相方に対して、ちょっと兄貴ぶってさらっと言っちゃってる感じが、一周回ってとてもリアル。その感じが、妙に愛おしく感じた。

2人で手作りした車で夏休みに旅に出ようと一度は決意したものの、やはり無邪気な夢に対して現実は厳しく、一度は諦めかけてしまう。そこで、2人がもう一度お互いを立ち上がらせるためにする会話が最高だ。

 

“このまま諦めたら、30年後に再会した時の会話はこうだ。「14の夏、2人で車を作って旅に出ようとしたよな。結局諦めたけど。」それでいいのか?ここで諦めちゃダメだろ!” 

 

このカッコよすぎて無理がある感がむしろリアリティを増しちゃう、この映画のムードがすごく好き。

 

(今片思いしてる女の子には) “意識しなくなった頃、付き合えるよ。その頃には彼女も普通の女子だったんだと気付くよ”

 

も14歳にしてはマセすぎなんだけど、大人の受け売り感も絶妙に出せてて刺さった。

 

何をやっても最後まで上手くいかなくても、それでも前に進み続ける男子の思春期をリアルに、優しく、ユーモアいっぱいに描いてて、私はこの映画が大好き。