Arcade Fire 『Everything Now』 私的レビュー

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この10年ほどの間、インディ・ミュージック・リスナー(とりわけUSインディ愛好家を自称する方たち)にとって「もっとも新作が楽しみなアーティスト」に上げられることの多かった4つのグループが、2017年の今年、こぞって久々のニュー・アルバムをリリースしました。Dirty Projectors(5年ぶり)、Fleet Foxes(6年ぶり)、Broken Social Scene(7年ぶり)、Arcade Fire(4年ぶり)の4グループのことをここでは指したい。

特に今回はArcade Fireの『Everything Now』について語るために、他の3バンドの新作を引き合いに出します。

 まず、『Everything Now』をリリースと同時にストリーミングで聴いた際の、サウンド面での感想がこちらでした。このときはまだ歌詞の内容をあまり把握してない状態でした。

 

以上、概ねポジティブな感想だったのですが、全曲の歌詞を参照しながら聴いた今、改めて別の感想を持ったので、忘れないうちに書き留めておこうと思いました。

ピッチフォークのレビューを始め、今回の『Everything Now』は評価を得ることに苦戦しているようですが、私の現在の個人的な視点からもそれは大いに納得です。歌詞を読んでそう感じるに至ったということです。

まず、今回のArcade Fireは、高評価を得るためには、そもそも茨の道、高い高いハードルを自らで選択しています。その見方によっては『Reflektor』の成功の呪いとも言えるのかもしれません。

Arcade Fireは、前作『Reflektor』とそのツアーの成功、そしてそれ以前の『The Suburbs』に至るまでのライブバンドとしての評価と作品性からも、次期U2と呼ばれていることは周知の事実です。それは果敢な実験に出た『Reflektor』が、かつてU2が同じくグラミー最優秀アルバム賞を獲りセルフイメージを完成させた後にあえて大転換に賭けて出た『Achtung Baby』での変貌を彷彿とさせることで、さらに強固な印象となりました。そして、今回の『Everything Now』を聴く限り、Arcade Fire自身もなんだかんだその気だし、乗り気だし、(決してネガティブな意味でなく)そこに活路を見出してる印象です。その器、というか、それ以上の器があるのだから、そういうポジションを見据えるのは悪いことではありませんし、むしろArcade Fireのようなバンドがトップ・オブ・トップに立つのは、U2がそこにいるより全然良くなってると思う方も多いでしょう。ただ。U2だって2000年代の『All That You Can't Leave Behind』と『How To Dismantle An Atomic Bomb』でその地位に到達する前に、『Zooropa』や『POP』の90年代があったということです。『Achtung Baby』では大絶賛されたU2も、『Zooropa』、『POP』と作品を重ねるごとに疑問視や批判が増していきました。今回、Arcade Fireも、前作の『Reflektor』が成功したので、もっとイケると追い風を感じたのか、まんまと90年代中期以降のU2のような、そもそも高評価を得るのが難しい選択を自らに課し、実際にバンドに対する評価を揺るがしています。(だけど、作り手としては純粋に音楽を楽しみながら、ポジティブに作成しているのは、聴けばすぐ分かるのですが…)「僕たちは毎回、時代に風穴を開ける音楽を世界に解き放つんだ」というのが活動の主題になっているタイプのグループなんだと思います。

 

ここで話が冒頭の4グループの新作のことと絡んでくるのですが、率直に言って、Fleet FoxesやBroken Social Sceneの新作というのは、評価を得るには手堅いということです。彼らは実に彼らしいアルバムを発表しました。確かにそれは幾段も研ぎ澄まされ、考慮され、パワーアップしていましたが、そのエネルギーを得意な方向に集中し、さらに素晴らしく才能を見せつけました。

これはFleet Foxesの新作を聴いた際の感想ですが、本当に力と鍛錬の込められた、満足のいく奥深さで。期待に100%応えてくれるアルバムでした。

それで、この時の感想でも私はKendrick Lamarを引き合いに出していて、なんでFleet Foxesと全然関係ないじゃんと思うかもしれないのですが、基本的に新作というのは同時代の作品と相対的に聴かれる宿命にあると思うし、特に今は魅力的な歌詞世界という点で圧倒的なアドバンテージを持つヒップ・ホップや、LordeやFrank OceanなどのエモいSSWがあってもなお、それ以上に人の心を奪える音楽になっているか、というのは1リスナーにとっても避けて通れない判断基準です。

そうした時に、例えばFleet Foxesの新作は、文字数や具体的な固有名詞持ち込み放題故の面白さや文学性を得やすいヒップホップの歌詞に、それでも負けない、絶対にFleet Foxesの曲でなければ、アルバムでなければ、表現し得ない、体感し得ない、心象風景や物語の描写が言葉と歌と音楽で表現されていて、だから私は今作でもFleet Foxesをとても褒めています。

それはBroken Social Sceneでも同じで、あの新作を聴くときに、「やっぱりこの感動はBSSだからこそだわ!!!7年ぶりにコレを感じれて最高!!!」ってなるわけです。

だから、もし高評価を堅く狙いたいなら、(逆算的かつ打算的で最悪だし、結果論でしかないけど)、皆が待ってる姿を鍛錬にパワーアップさせれば、例えば今回Arcade Fireがやっていることよりハードルが下がるはずです、そもそものポテンシャルを持っているならば。だけど、それでは「毎回、時代に風穴を開ける音楽」にはなりません。「時代」と「毎回」というところがポイントだと思います。かつてからの自分たちのリスナーの心には今回も風穴を開けることはできるでしょう。でも「時代」は他人行儀で移ろいやすい。それに対して「毎回」風穴を開けようとしたら、それなりの相当なリスクと情熱を覚悟することになります。

 

そこで、今回のArcade Fireと90年代のU2に話が戻るのですが、ストイックな音像とイメージで支持と地位を築き上げたグループが、同時代の煌びやかなトレンドスタイルとの同化を試みているというわけです。『Everything Now』をトレンドのテイストというには無理があるのは分かりますが、4年前の『Random Access Memories』でスムースなディスコサウンドをリバイバルさせたDaft Punkのトーマをプロデューサーに迎え、エレクトロな趣向を取り入れてる今作は、やはりArcade Fireの方から時代に接近したと言えると思います。歌詞の同時代性もそれを証明していると感じます。

この、今回のArcade Fireや90年代のU2が目指したことというのは、中年手前の30代後半のおじさんがやるからには、相当な工夫が必要であろうと私は思います。

『Zooropa』以降の90年代のU2は、80年代後半から『Achtung Baby』までの評価に比べると徐々に価値を見出されなくなっていったと感じていますが(リアルタイムじゃないので自信は持てないけど)、その点においては成功していたんじゃないかと、作品を聴いて感じます。歌詞の面です。

そこで問題となるのが今回のArcade Fireの『Everything Now』ですが、サウンドを同時代に寄せたということは、歌われる内容も、現代のラッパーやエモいSSWと比較されることは避けられないということです。今までずっと歌詞の面で素晴らしい文学性を発揮し、私を含め多くのファンを魅了してきたArcade Fireならなおさらです。

 

だけど、今回、心に突き刺さるフレーズや文脈が前作以前に比べて、極端に少ないと感じています。もっと言うと、この作品だからこそ新たに感じられた感情や考えというものが、今回はかなり微々たるものでした。そりゃあ、ずっと頷ける歌詞です。でも私がArcade Fireのファンであった理由は、頷けるんじゃなくて、ここでしか体験できない感情に言葉と歌と音楽で連れて行ってくれて、そのことに驚きと素晴らしさと感動を感じたからです。例えばサウンド面でいったら「Creature Comfort」は大好きな曲ですが、「自分の身体が大嫌いな少女たちは鏡の前に立って反響を待つ。(← インスタグラムに今日の着こなし等をアップするティーンのことのよう)神様、私を有名にしてくださいと言いながら。もしそれが叶わないなら、とにかく苦しくないようにしてくださいと。」という歌詞があって、一部分だけ取り出して指摘するのはよくないけど、これを限られた行数の中であえてArcade Fireが歌う意味ってあるのかな?と感じてしまいました。例えばこれをLordeがあの等身大のエモさで歌ったなら、素直に心まで響いたと思います。でも、それを30代後半の大成功してるおじさんシンガーに歌われても、「そうだよね~」と頷くまでしか出来ない。そして今回のアルバムの歌詞は、どの曲にもそれを感じてしまった。かつてのようにArcade Fireしか歌わない、使わない表現で、言葉の組み合わせで、本当の苦悩をえぐり出し、捉え直してくれよ、って感じです。恐らくそこが、今回、彼れが急激に評価を落としてしまった原因だと私は捉えています。サウンドを同時代風にするならば、歌詞は同時代の他のアーティストが書けないものを書かない限り、おじさんが勝てるわけがありません。厳しく言うとそういうことかと思います。

例えば同日にリリースされたJay-Zの新作『4:44』の日本盤も購入し、歌詞を全部確認しながら聴き直しましたが、やっぱりJay-Zウィン・バトラーより10歳年上ですが、文字数の多さも有効利用しながら惹きつけられる歌詞、面白い歌詞のオンパレードなわけです。それほど深い内容のない部分でさえ、例えば「Moonlight」という曲名で「俺等はまだ『ラ・ラ・ランド』から抜け出せない。勝っても敗者扱い。みんな同じフロウやって、誰が誰か、見分けがつかない。みんな同じ腕時計着けて、女子は選ぶ時間がない。まだ『ラ・ラ・ランド』から抜け出せない。みんな同じ動きをしてる」とラップしていたり(これって先ほど引用したArcade Fireのセンテンスと内容は近いことを言ってるのではないでしょうか?だとしたら、やっぱり表現としてこっちの方が面白いし、言い方に深みが生まれています。ラップ8行分をArcade Fireは1行で書かないといけないという擁護もあるかもしれませんが、そんなことお構いなしに、たった1行で他を黙らせてしまうほど深い表現を連発していたのが前作までのArcade Fireです。)、アルバムの歌い出しから「ジェイ・Zを殺せ。好きじゃねえし。物足りない。本音だぜ、ジェイ・Z。クソ喰らえ、ジェイ・Z。自分の兄を撃ったんだろ、そんなヤツは誰も信じねえ、ジェイ・Z」と自分自身に対して歌ってるところからして引きつけられるし、同じ曲の中で「ソランジュと騒動あったとき、おまえは分かってたはずだ。『俺が悪かった』と認めれば済んでたと。あやうくエリック・べネイになるところだった。この世で最高の女を手放すところだった。」とも歌っていて、とにかく全編の詩が魅力的。ビヨンセに浮気を謝罪し尽くすタイトル曲なんて全センテンスがどういうわけかガチで私の胸にも刺さります。だから結局、サウンドでトレンディに近づくということは、ヒップホップやSSWのジャンルにはJay-Zより遥かにフレッシュでセンスの冴えた若い人たちがいるわけで、そういうアーティストたちの作品と聴き比べられて評価されるということ。聴き比べよう、なんて思わなくても、日常的に音楽と聴いていればどうしても相対評価になってしまいます。これがArcade Fireの『Everything Now』についての私の感想です。でもきっとライブを観てしまったら、アルバムも評価しちゃうと思うの。だから日本に是非来てほしい。

 

それで、今年インディ・ロック畑からトレンディなサウンドのアルバムを作り、なおかつ、歌詞の面でも他の強力なライバルたちに勝ってる、もしくは余裕で互角に戦えてるアルバムがあります。そう、それがDirty Projectorsの『Dirty Projectors』。だからあのアルバムは本当にスゴイと思うの。結局のところ、2017年に再び新作を持ち寄ったかねてからのインディ・スターたち。優勝は正直大差でDirty Projectorsだと思っています。

もうすぐのThe Pains Of Being Pure At HeartやGrizzly Bearにも期待です。