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『シング・ストリート』の良さ

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 『シング・ストリート』は音楽系青春映画の良作として括ってしまうにはもったいないほど、大人が観ても普遍的な深みがあって、それ故に余韻がやたらと何日も後を引く。そんな魅力があるように思う。

 

 15歳の男子高校生である主人公が一目惚れした、一つ歳上のモデル志望の美少女が彼につぶやいた一言。


「愛っていうのは、ハッピーでサッドなものなの。」


 この言葉は少年を困惑させ、彼とバンドの音楽も「ポップ」志向から「ハッピー&サッド」志向へと変化させる。その時、彼らが“教科書”にするのがThe Cureのアルバムなんだけど、「ハッピー&サッド」というエッセンスは単にワンシーンを築くテーマというだけではなく、『シング・ストリート』という映画そのものを貫く旨味のように感じる。

 

 主人公のバンド、Sing Streetのオリジナル曲の中でも、特に素直かつ明確に彼が自分自身の思いを歌詞に託した名曲「UP」にはこんな一節が登場する。



『灰色に塗り潰された月曜日、通りの向こう側で、言葉では表現できない瞳を持った女の子に出会った。
そしたら急に日曜日は完璧な1日に変わり、すべてがいつもよりもリアルになった。
もう一度夢の中に戻ってこられた気分。
もう一度屋根裏部屋に戻ってこられた気分。
それはとてつもなく美しい感覚なんだ。』


 ここで思うのは、彼の月曜日が灰色に塗り潰された1日、家では両親が大声で喧嘩していて、学校ではイジメっ子にボコられ、校長には目をつけられ意地悪される最悪な1日、ではなかったとしたら、それでも同じように完璧な日曜日ははたしてやってきただろうか、ということ。それはつまりは、結果としてこの曲自体が生まれたのだろうか、ということにも繋がってくる。


 悲しみと喜びは対になるものだと思う。月曜日に受けた悲しみや辛さがあってこそ、彼女との出会いは彼の人生の中で輝き、平凡だったはずの日曜日を、実際に完璧と呼べる美しい1日に変えた。そしてそんな体験が彼に詞とメロディーをもたらした。

 

 『シング・ストリート』の一番偉大だと思った点は、“幸福や希望とは、悲しみの中で知るもの”だという人間の真理を、温かい視点から丁寧に感情豊かに描いてみせ、さらに“悲しみの中で知った・見つけた、幸福や希望こそが「自分自身」をつくっていくのだ”ということを、悩み多き思春期を厳しい環境で生きる少年少女の冒険と成長を通して示している点だと思う。


 報われず無力な年代に、理不尽な悲しみにぶちあたって傷つくことがあっても、その辛さの分だけ自分にとっての希望や幸福はかたちを明確にして輪郭を強くしていく。悲しみの分だけ、希望・幸せが何かを強く知っていく。そして、その応えこそが「自分自身」というものなんだと知っていく。そうした時に、人生は本当の意味で初めて自分のものとなる。だから悲しみや辛さに出会うことを恐れず、自分の気持ちが欲することを素直に勇気を出してやってみよう。もし上手くいかなくても、いやむしろ上手くいかなければいかないほどに、そこでは幸せ・喜びのかたちを知ることができる。それを伝えてくれる。

 

 自分は何に幸せを感じるかが、自分自身を示すことであるなら、どんな悲しみを感じてきたかも、同じように自分自身を示すものである。だから。例えば恋愛とか気になる人ができた時に、心の奥で実はこっそり知りたがってることがある。「この人は今までどんな悲しみを抱いてきた人なのかな?」だからといってそれをはっきり聞いてまで知ろうとするのも野暮に感じるけど、誰かに惹かれる時、なんか、そこに対する予感で惹かれてたりすることがある気がする。

 ある音楽を好きになる時、ある歌を好きになる時も、結局はそこを見てる(聴いてる)んじゃないかなと思う。Cureのとびきりポップな曲たちが大好きなのは、その裏側にしっかり悲しみや切なさも感じられるからであるように。悲しみの中で見つけた幸せや希望は、一生「自分自身」として自分のド真ん中でしぶとく居座り続ける。それが、将来体験するであろう、もっと大きな悲しみや痛みからも自分自身を支え、守ってくれる。悲しみとはそれに慣れるために人生に溢れているのではなく、幸せを知るために在るのだと思いたい。